今から1年前、2月13日の早朝、うちのおばあちゃんが亡くなった。78歳だった。
2010年の末から具合が悪くなり始めたそうで、11月に実家に帰ったときはまだ元気だったのに1ヶ月も経つと一度入院したというおばあちゃんの姿はすっかりやせこけてまるで別人だった。
痴呆がもうかなりひどかった。だいぶ前から。でも体そのものはずっと健康で、安心していたのだけれど。突然入院したと聞いたときは驚いたものだ。
クリスマスの日、目も開かなければ腕ひとつ動かすのにも一苦労、喋りにも力がないおばあちゃんを見て、こう言ったらなんなんだろうが、「もうすぐなのか」と思ってしまった。
もうおばさんやいとこが、おばあちゃんのそういう姿を見るのも辛いようで、せっかくのクリスマスの日に泣いていた。みんな感じてることは一緒だったんだ。
年末にまたおばあちゃんが入院した。ある日お見舞いに行くと、おばあちゃんが焦点の合わない様子をした目で天井を見つめている。
「おばあちゃん、何を見てるの?」
「神様がね、見てるの。そこでね。見てるの。」
ゾッとした。人は死に際になると悟るだとか見えるだとかよく言うけれど、ほんとなんだな、と。
その時私は確信した。もうおばあちゃんはそう長く生きられない。
おばあちゃんが退院したのとほぼ同時に、私は自分の住んでいる街へ戻らなければいけなくなった。
ソファに横たわるおばあちゃんに向かって私は話しかける。
「おばあちゃん、私、誰だかわかる?」
私はこれをいつもおばあちゃんに聞く。いくら忘れられてるのを知っていても、聞きたいのだ。
「ん~・・・・」
「覚えてないかぁ。ほら、あなたの娘が日本人と結婚したでしょう。私はその娘。」
「日本人?あぁ、カリンちゃん、かぁ」
私は彼女にとってたった1人の日本人の孫だ。頻繁に会うことはなくても、印象には残っていたらしい。おかげさまで。
そして、彼女は絶対に「カリン」だけじゃわからない。
カリンと名乗ると首をかしげるのに、カリンちゃんだよというと、あぁ~、カリンちゃんだったねと返す。
「おばあちゃん、私ね、今ドマゲティで勉強してるんだよ。もうね、学校が始まるの。だから帰るね。またね。元気でね。すぐ会いにくるからね。」
おばあちゃんの手を握ったら、すごく小さくて細くてしわしわで、でもなんだかあったかかった。
「カリンちゃん。勉強頑張るんだよ。」
「うん、またね。」
これが最後の会話だった。
2月13日に亡くなった知らせを聞いてからも私はとりあえず授業に出た。
すぐにでも帰りたかったけど、おばあちゃんに勉強頑張ってねって言われたから。
そして16日の午後に、地元へ帰った。
棺の中に入ってるおばあちゃんはほんとに寝ているようにしか見えなくて、綺麗だった。
人の死に姿なんて初めて見たけれど、こんなに綺麗なものなのかと思ったくらいだ。
私は両手で数えられるくらいしかフィリピンに帰って来たことがない。
小さい頃なんて英語もそんなに達者でなければ、現地の言葉ももちろん知らなかった私。
それでもおばあちゃんはほかのいとこたちと同じように私をかわいがってくれた。
こっちに住み始めてからもさほど地元に帰っていなかったけれど、こっちの言葉が分かるようになったおかげで格段とコミュニケーションをとりやすくなった。
彼女が私を誰だかわかっていなくても、前よりたくさん喋れるのが嬉しかった。
いっぱい言葉を交わした訳でもなく、時間を過ごした訳でもなく、でも、それでも、おばあちゃんとの思い出はしっかりあるのだ。
そして私には父方のおばあちゃんがいない。というか、疎遠で顔も知らない。もちろんおじいちゃんも。会うこともなく亡くなってしまった。
母方のおじいちゃんも。私が生まれる前に亡くなっている。
だから、私にとってはたった1人のおばあちゃんなのだ。
おばあちゃんと対面したその瞬間は泣かなかったけど、親戚とあいさつを済ませて通夜が始まる頃にはようやく実感が沸いてきて、少し涙が滲んだ。
通夜の間はもう涙が止まらなかった。
翌日、母が日本からやってきた。顔は暗く、喋り方もなんだかおかしい。当たり前か、自分の母親が亡くなったんだ。
棺を目の前にした瞬間お母さんが崩れた。今まで見たことのないような泣き方をしていた。
私も泣いた。彼女を見ているのが辛かった。
何を言えばいいか、何をすればいいのか。分からないから、何もできなかった。おばさんが代わりに母を慰めてくれていた。
その夜、母を慰めていたおばさんが倒れた。らしい。私は聞いただけで、何も見ていない。
みんなの様子がおかしい。次々に人が減っていく。病院に行くというのだ。
最後にはわたしたちいとこだけが取り残された。
おばあちゃんが天井を見ながら神様が見えると言ったあの時と同じ具合に、ゾッとした。
そしてその知らせを聞いた2時間後。遺体が運び込まれてきた。
人型をした灰色の布。その中には数時間前までいつも通りの様子だったおばさんが包まれているというのだ。
悪い夢でも見ているんだろうという気しかしなかった。
泣きながらとりあえず横になって目を閉じた。はやく夢から覚めたかった。
けれども翌朝、目が覚めて式場に行くと棺が2つになっているのだ。
私がこの先一生見たくない光景のひとつが、そこにあった。
みんな疲れていた。みんな悪夢から覚めたいと願っていたと思う。
空気はずっしりと重く、誰も喋る様子がない。現実を受け止めるのはそう簡単じゃないのだ。
突然すぎた。おばあちゃんと違って、彼女の死は予想外である。
おばあちゃんが亡くなったばかりで不安定な私たちの心には、この現実を受け止めるだけの強さがまだ戻ってきていない。
「なんで、今なの」
全員が同じ事を思っていただろう。1人亡くすだけでも辛いのに、なんで続けて、2人も。
"Everything happens for a reason"
という言葉をよく聞くけれど、あの時ほどこの言葉に助けられたことはない。
おばあちゃんはおじいちゃんと一緒になった。 亡くなったのは2月13日。その日付にも意味がある。 14日。バレンタインデー。きっと2人は天国で20年振りのデートをしたのだろう。 そしておばさんは、きっとおばあちゃんの側にいたかったんだろう。 ずーっと家にいて、おばあちゃんや家の世話をしてる人だったから。 きっと天国でも、おじいちゃんとおばあちゃんの世話をしてるのだろう。
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ママとおばあちゃんの手。2人に同じ色のマニキュアを塗ってあげた。色はモノクロにしちゃったから見えないんだけど笑
なんだか、すごく好きな写真なのです。 |
明日でおばさんが亡くなってからも1年が経つ。
おばあちゃん、おばさん、元気ですか?
一年はとてもはやいですね。
あの時はとてもつらかったけど、2人のおかげでたくさんの大事なことに気付けました。
本当にありがとう。
また、会える日を楽しみにしています。
明日何が起こるかわからない。
隣で笑ってた人が、その数日後、数時間後、数分後にいなくなってしまうかもしれない。
私たちはこの先なにが起こるかなんて予測することはできない。
でも、起こりうる最悪の事態のために、できる限りの準備をすることならできます。
周りにいる人を大事に。平等に。
でもとりわけ自分の大事な人には、もっともっと優しく、できることはなんでもする。
それは家族だったり、恋人だったり、親友だったり。
それでもやはり、誰かを失ってしまった時には後悔しちゃうんだろうけど。
去年の日記より引用。もう一度忘れないためにも載せておきます。
長文駄文すみませんでした、それではかしこ。