2012-03-28

いつのまにか

大学2年目しゅーりょー。もう2週間も前のことですが。
日本を離れてからもうそんなに経つのか、としみじみ。
大学生活も(順調にいけばw)あと2年かー。早いな。
最近は休みに入ったものの日本に一時帰国するまでまだ時間があるので暇してます。

そんなこんなでなんとなく昔の写真を見返していると・・・あれもこれも懐かしい!
という訳で写真と共に振り返る僕の大学生活前半。
まあ適当に選んだのを適当に載せてるだけだけど。笑



2010.6 フィリピン上陸。ぐだぐだする余裕もないまま入学、入寮。


私の大学は、英語圏でない国から来た生徒には1セメスター英語を学ぶ
「イングリッシュオリエンテーション」を取ることが原則義務付けられています。
大学での授業はすべて英語のため、英語の基礎ができていなければ話にならないんですね。
このコースをパスしない限りは入学試験も受けられません。

私は高校の時にTOEICでそれなりの点数をとれていたし、日常生活に支障のない程度は英語が喋れる(つもり)だったのでなんとかしてこの授業を取らずにそのまま入学試験を受けられる方法はないかと考えていたんですが、だめでした。笑

という訳で仕方なく1セメスター英語だけを学ぶハメに。
来たばかりだし自分の英語力向上と環境に順応していくためにはまあいいかな、と思ったものの、
クラスメートがほんとに英語喋れない人たちばっかりで。
(ちなみにクラスメートは主に韓国人とイラン人)
なんか、やってる内容もすごく(言っちゃ悪いんだけど)レベル低いし、
お金と時間を無駄にしているような気がしてならなくて。
2週間経った辺りで耐えられなくなったので、先生に相談、学校の事務で交渉、てんやわんやして。
イングリッシュオリエンテーションにさようならしました。
ちなみにこの時点でまだ親には何も言ってなかったはず・・・笑

で、なんとか入学試験受けて受かって、3週間遅れて人文科学部文化人類学科へ。
こっちの大学は履修登録がかなりめんどくて。
遅れた場合、追加したい教科がある場合は基本直接先生のところに行かないとだめなんですね。
でまあ、行くとこ行くとこキレられるわ軽蔑されるわでw
「え、もう1ヶ月近く経つけど今まであんた何してたの?」みたいな。
事情を説明するもだいたいみんなビミョーな顔するし。
私みたいなことをした人の前例がおそらくないからだと思われます。笑
まあこっちはしてやったりって感じだけど。どや!


その一方で、寮生活は順調(?)。
大学管轄の女子寮の中では一番いいと聞いたから来たのに・・・はぁ?
1976年築?なんか暗いし・・・汚いし・・・寮食まずいし・・・。ってな感じで最初はテンションガタ落ちだったんですが、いいルームメイトに恵まれてなんとかやってました。
6人部屋でフィリピン人3、日本人2、韓国人1。
イベントとか、ルームメイトでおでかけとか、なかなか楽しかったです。
ただ1つ最後まで気に入らなかったのは門限。9時半。笑
まじ、中学生かよと。このころは夜遊びもまともにできなかったなー。
まあ、いいことなのかもしれないけどw

これ多分、ほんと入寮してそんな経ってない頃。たしか寮内でダンスのオーディションかなんかをした時かなー

部屋に飾るように撮ったルームメイト集合写真(笑)キメすぎやろ。

創立記念週間。1年間で最も大きなイベントのうちのひとつ。この日は寮を一般に開放してました。ちなみにこれが部屋。

で、基本的には1年の前期はそんな感じ。とにかくてんやわんや。笑
本当に色んな人と出会って、新しいことだらけの毎日で。
人間関係でもいっぱい悩んだけど、それも何とか乗り越えられて。

高校の同級生が会いに来てくれた時はほんと嬉しかったな。一番死んでた時期だから助けられた。これはセブでの1枚。


2010.10 休み~後期スタート。

何といってもあれですね。引っ越しました。寮生活とおさらば。
日本人のルームメイトと2人暮らしが始まりました。
自炊とかインテリアとか、引っ越す前はわくわくしてたけど・・・。
実際そうはうまく行きませんよねー笑
で、引越し作業が終わった後は母の地元に帰ったりしながらリフレッシュ!
久々の地元は楽しかったなー!大好きないとこ他親戚みんな勢揃い。
11月は地元の祭りみたいな感じで、ビッグイベントなんです。
食べて食べて食べて食べた。笑


ハロウィン!真ん中が一番仲良しのいとこ。

フィエスタ(祭り)ではこんなド派手な衣装を着た子達が街中でパレードをしています

からの~授業ですね。
まあ授業は難なくぺろぺろーっとこなせてました。一年次は楽すぎた笑
あとは引っ越したおかげで門限がなくなったのでナイトライフが充実してましたねw
友達も一気に増えて毎日が楽しくなりました。ようやく。


で、年末がやってきて、また帰省。おかんも帰ってきて久しぶりに再会。
家族みんな勢揃いでクリスマスパーティーをしました。

いとこ!これでもまだ全員じゃない。笑

そして年が明けてしばらく経った2月、おばあちゃんとおばさんがほぼ同時に亡くなった。
その事についてはちょっと前に記事書きましたのでよければ。


で、実はその直前にミスコンに出たんです。この私が。ミスコンwwww
大学の留学生部門的なのにほぼ流れで参加することに。
予選は大コケでしたねー。自分の英語力がもっとあればいいスピーチができたのになー、と悔しい思いをした記憶があります。タレントショーはあえて日本語の歌を歌ってやりました。どや!

ヨーロピアンに囲まれて涙目だった私。楽しかったけど、劣等感半端なかった。笑


ファイナルには出させてもらえることになったものの、
前に述べた通り家族が2人も亡くなってしまったので辞退させて頂きました。
残念だったけどいい経験になったからよし!こんなんもう一生ないからなー笑


そんなこんなで1年が終わって、最後はやっぱり!やっぱり!



飲んでましたね。笑 みんなが休み中にそれぞれの国に帰る前に、ガツンと行こうぜ!と。
あー、懐かしいな。左から2番目の子はこの数日後にオランダに戻っちゃいました。完全に。
会いたいなー。




という訳で、ものすごく適当だけど1年の思い出終わり!
疲れたので2年の思い出はまたのちほど。笑

それではかしこ。

2012-02-23

おいしい おいしい

ストレスが溜まったら、やっぱ食べるしかないよね!笑
最近gdgdなじぇしかりん!です。風邪なう。
ということで、今日のテーマは食べ物。

一人暮らししてるとどうしても忙しい時は食べるのがめんどくさくなっちゃったりするけど、
やっぱちゃんと食べるのって大事・・・。
実家のご飯が恋しいですな。

という訳で、ちょろっと最近食べたおいしいものを載せます。



カップケーキ!かわいい


"I can't believe it's not a mojito"って名前のノンアルカクテル。
ほんとモヒートの味。でもモヒートじゃないんだよ!


あぁ、ハンバーガー。


マレマレと野菜のグリーンカレー


にんまり


@友達の誕生日会 でしたー。

さて、今晩は何を食べようかしら。
今月は忙しいから極力自炊はしないって決めたはいいものの、外食続きも辛い!
あぁ、早く今年度終わって欲しい、自分の好きなものを自分で作って好きなだけ食べたいよ。
あと3週間。



それではかしこ。

2012-02-17

だいぶ前なんだけど



 地元であったfiestaの写真。何も手をつけていなかった。
もう去年の11月。無駄に枚数撮りすぎて見るのも編集するのもなんだか億劫だったのです。
いい写真あんまり撮れてなかったけど、がーん。
僕はいつになったら上達するのやら、



地元です。SAN CARLOSといいます。



レディー・ガガ(オカマ)って感じ。強烈。


写真だとうまく伝わらないんだがこの子超絶かわいい



踊り子ちゃん 中学生!



パレード 暑い中ようやるわ、小学生



何を喋っているんだか


あぁ可愛い


まぶしい


いやあ、この子。すごくいい。表情豊か。確実にゲイだけど。笑


うんうん。やっぱいいね。



とびぬけて笑顔が明るいもの。



目線くれた!微笑み頂きました!


じゃんぷ!


きれいだな~ これで中学生か


猛暑の中で激しく踊ったあとでも、この表情。


みんな一生懸命な様子が伝わってくるだろうか


fiestaのテーマは「ひまわり」




”最高の一瞬”を1枚の写真に収めるのって難しい。
だからこそイイの撮れたときは我ながらやるな、とにやけてしまう。
あー、撮りたくなってきたよ!写真!

2012-02-16

思い出すのです

今から1年前、2月13日の早朝、うちのおばあちゃんが亡くなった。78歳だった。

2010年の末から具合が悪くなり始めたそうで、11月に実家に帰ったときはまだ元気だったのに1ヶ月も経つと一度入院したというおばあちゃんの姿はすっかりやせこけてまるで別人だった。
痴呆がもうかなりひどかった。だいぶ前から。でも体そのものはずっと健康で、安心していたのだけれど。突然入院したと聞いたときは驚いたものだ。
クリスマスの日、目も開かなければ腕ひとつ動かすのにも一苦労、喋りにも力がないおばあちゃんを見て、こう言ったらなんなんだろうが、「もうすぐなのか」と思ってしまった。
もうおばさんやいとこが、おばあちゃんのそういう姿を見るのも辛いようで、せっかくのクリスマスの日に泣いていた。みんな感じてることは一緒だったんだ。

年末にまたおばあちゃんが入院した。ある日お見舞いに行くと、おばあちゃんが焦点の合わない様子をした目で天井を見つめている。

「おばあちゃん、何を見てるの?」

「神様がね、見てるの。そこでね。見てるの。」

ゾッとした。人は死に際になると悟るだとか見えるだとかよく言うけれど、ほんとなんだな、と。
その時私は確信した。もうおばあちゃんはそう長く生きられない。


おばあちゃんが退院したのとほぼ同時に、私は自分の住んでいる街へ戻らなければいけなくなった。
ソファに横たわるおばあちゃんに向かって私は話しかける。

「おばあちゃん、私、誰だかわかる?」
私はこれをいつもおばあちゃんに聞く。いくら忘れられてるのを知っていても、聞きたいのだ。

「ん~・・・・」

「覚えてないかぁ。ほら、あなたの娘が日本人と結婚したでしょう。私はその娘。」

「日本人?あぁ、カリンちゃん、かぁ」
私は彼女にとってたった1人の日本人の孫だ。頻繁に会うことはなくても、印象には残っていたらしい。おかげさまで。
そして、彼女は絶対に「カリン」だけじゃわからない。
カリンと名乗ると首をかしげるのに、カリンちゃんだよというと、あぁ~、カリンちゃんだったねと返す。

「おばあちゃん、私ね、今ドマゲティで勉強してるんだよ。もうね、学校が始まるの。だから帰るね。またね。元気でね。すぐ会いにくるからね。」
おばあちゃんの手を握ったら、すごく小さくて細くてしわしわで、でもなんだかあったかかった。

「カリンちゃん。勉強頑張るんだよ。」

「うん、またね。」

これが最後の会話だった。


2月13日に亡くなった知らせを聞いてからも私はとりあえず授業に出た。
すぐにでも帰りたかったけど、おばあちゃんに勉強頑張ってねって言われたから。
そして16日の午後に、地元へ帰った。
棺の中に入ってるおばあちゃんはほんとに寝ているようにしか見えなくて、綺麗だった。
人の死に姿なんて初めて見たけれど、こんなに綺麗なものなのかと思ったくらいだ。


私は両手で数えられるくらいしかフィリピンに帰って来たことがない。
小さい頃なんて英語もそんなに達者でなければ、現地の言葉ももちろん知らなかった私。
それでもおばあちゃんはほかのいとこたちと同じように私をかわいがってくれた。
こっちに住み始めてからもさほど地元に帰っていなかったけれど、こっちの言葉が分かるようになったおかげで格段とコミュニケーションをとりやすくなった。
彼女が私を誰だかわかっていなくても、前よりたくさん喋れるのが嬉しかった。
いっぱい言葉を交わした訳でもなく、時間を過ごした訳でもなく、でも、それでも、おばあちゃんとの思い出はしっかりあるのだ。
そして私には父方のおばあちゃんがいない。というか、疎遠で顔も知らない。もちろんおじいちゃんも。会うこともなく亡くなってしまった。
母方のおじいちゃんも。私が生まれる前に亡くなっている。
だから、私にとってはたった1人のおばあちゃんなのだ。

おばあちゃんと対面したその瞬間は泣かなかったけど、親戚とあいさつを済ませて通夜が始まる頃にはようやく実感が沸いてきて、少し涙が滲んだ。
通夜の間はもう涙が止まらなかった。

翌日、母が日本からやってきた。顔は暗く、喋り方もなんだかおかしい。当たり前か、自分の母親が亡くなったんだ。
棺を目の前にした瞬間お母さんが崩れた。今まで見たことのないような泣き方をしていた。
私も泣いた。彼女を見ているのが辛かった。
何を言えばいいか、何をすればいいのか。分からないから、何もできなかった。おばさんが代わりに母を慰めてくれていた。


その夜、母を慰めていたおばさんが倒れた。らしい。私は聞いただけで、何も見ていない。
みんなの様子がおかしい。次々に人が減っていく。病院に行くというのだ。
最後にはわたしたちいとこだけが取り残された。
おばあちゃんが天井を見ながら神様が見えると言ったあの時と同じ具合に、ゾッとした。

そしてその知らせを聞いた2時間後。遺体が運び込まれてきた。
人型をした灰色の布。その中には数時間前までいつも通りの様子だったおばさんが包まれているというのだ。
悪い夢でも見ているんだろうという気しかしなかった。
泣きながらとりあえず横になって目を閉じた。はやく夢から覚めたかった。

けれども翌朝、目が覚めて式場に行くと棺が2つになっているのだ。
私がこの先一生見たくない光景のひとつが、そこにあった。
みんな疲れていた。みんな悪夢から覚めたいと願っていたと思う。
空気はずっしりと重く、誰も喋る様子がない。現実を受け止めるのはそう簡単じゃないのだ。
突然すぎた。おばあちゃんと違って、彼女の死は予想外である。
おばあちゃんが亡くなったばかりで不安定な私たちの心には、この現実を受け止めるだけの強さがまだ戻ってきていない。

「なんで、今なの」

全員が同じ事を思っていただろう。1人亡くすだけでも辛いのに、なんで続けて、2人も。


"Everything happens for a reason"
という言葉をよく聞くけれど、あの時ほどこの言葉に助けられたことはない。
おばあちゃんはおじいちゃんと一緒になった。 
亡くなったのは2月13日。その日付にも意味がある。 
14日。バレンタインデー。きっと2人は天国で20年振りのデートをしたのだろう。 
そしておばさんは、きっとおばあちゃんの側にいたかったんだろう。 
ずーっと家にいて、おばあちゃんや家の世話をしてる人だったから。 
きっと天国でも、おじいちゃんとおばあちゃんの世話をしてるのだろう。 


ママとおばあちゃんの手。2人に同じ色のマニキュアを塗ってあげた。色はモノクロにしちゃったから見えないんだけど笑
なんだか、すごく好きな写真なのです。






明日でおばさんが亡くなってからも1年が経つ。

おばあちゃん、おばさん、元気ですか?
一年はとてもはやいですね。
あの時はとてもつらかったけど、2人のおかげでたくさんの大事なことに気付けました。
本当にありがとう。
また、会える日を楽しみにしています。


明日何が起こるかわからない。 
隣で笑ってた人が、その数日後、数時間後、数分後にいなくなってしまうかもしれない。 
私たちはこの先なにが起こるかなんて予測することはできない。 
でも、起こりうる最悪の事態のために、できる限りの準備をすることならできます。 

周りにいる人を大事に。平等に。 
でもとりわけ自分の大事な人には、もっともっと優しく、できることはなんでもする。 
それは家族だったり、恋人だったり、親友だったり。 
それでもやはり、誰かを失ってしまった時には後悔しちゃうんだろうけど。 

去年の日記より引用。もう一度忘れないためにも載せておきます。
長文駄文すみませんでした、それではかしこ。

2012-01-16

戻ってきてから一週間経つので

まあ、ちょっと書く。

日本にいた3週間は実に幸せでした。
前回の帰国よりも期間は短かったものの、会った人の数は倍以上。

ケンタカナイトも、成人式も、同窓会も楽しかったなー。




人と喋るのが大好き。話してて楽しいって言われるとすごく嬉しい。
最近自分が何になりたいかもうよくわからなくてずっともやもやしてるんだけど、
とりあえずパソコンと向き合うような仕事は無理だなぁ笑
喋ってないと、死んじゃう。


2012年は更にアクティブに頑張っていかないとね!
みんなと話してて思うもん、みんなの私に対するイメージと実際の私の間に差異がありすぎる。笑
でも、まわりの人のモチベーションに自分がなれてるってのはとても誇らしく幸せなことであります。
向上心を失わずにいられる理由。ありがたいですね。



わたしはわたしのやり方で、もっともっと魅力的でパワフルな人間になってやるよ。
周りのやつらがどんどんすごくなってくの、でかいことやらかしにいくってさ。
ポテンシャル半端ない人だらけだなとは思ってたけど、実行にまで移すってやっぱり難しいと思うんだよね。


素敵な一年になりそう。日本帰れてよかったな。
ただただありがとう。それだけ。